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今でも名残として祝い事には赤飯を炊きます
日本人が初めて目にしたお米はどんなものだったのでしょうか。
そして、日本人の主食、お米はどのようにして日本に伝わったのでしょうか。

今からおよそ2400年前、弥生文化が始まるきっかけとなった最初のお米が、この赤米だったのです。

日本のお米のルーツ、赤米が作られていたころ、お米は大変なごちそうでした。ですから、古代人はこれを神に供え、祝い事の時にしか食べなかったのです。赤米よりおいしい白いお米が作られるようになってからも、その風習は残りました。そして今でも祝い事のときには、小豆やささげで赤く染めたご飯を炊くのです。

赤米は今でも奉納米として、数ヵ所の神社で作られていますが、そのほとんどは、明治の中期以降、白米の水田を荒らす雑草として駆除されました。

どんな農作物にも、そのルーツとなる野生の植物があります。古代人ははじめその野生のお米を集めて食べていましたが、もっと効率よく手に入れたいと考え「タネ」である米を集め、栽培するようになったと考えられています。こうした点から考えると、野生のお米があり、しかも人間が住んでいた地域でお米の栽培が始まったと推測されます。その条件を揃えているのが今のネパールからバングラデシュ、ミャンマーを通って中国の雲南省までの地域だといわれています。お米が栽培されるようになった時期ははっきりとはわかっていませんが、中国の揚子江の下流の7000年前の遺跡から発見された稲がもっとも古いといわれています。

アジア大陸の奥地で誕生したお米は、そこを中心に各地に放射状に広がっていきました。そして、日本へは約2400年前に3つのルートでほぼ同時期に伝えられたといわれています。お米が最初に上陸したのは九州北部といわれています。そしてわずか200年で本州の最北、青森県まで広まりました。

生産性が高く、計画的に栽培することができ、しかも栄養価が高く、おいしいお米は、温暖で雨が多く、水の豊かな日本の風土に適した最高の農作物だったのです。米の作りやすい地域に人が集まり、村ができ、日本は米作りを中心に、農作物だけでなく、社会も、文化も発達していったのです。

赤米は現在、いろいろなものに使われています。真っ先に取り組んだのは木簡に地名が記されていた丹後の弥栄町で、ここでは村おこしに赤米を使おうということになりました。

まず、古代の田植えを再現しました。田植着も古代のものを再現しました。古代は麻が多く、かたちも貫頭衣服ですので、お米の麻袋のドンゴロスで古代の田植着を作りました。

赤米神事が復活したところもあります。現在では確認しているだけでも6〜7箇所で復活しており、京都府の天の橋立の東側の篭(この)神社というところでも赤米神事が復活しました。赤米の御田植まつりで櫓(やぐら)を組み、古老の方が昔の田植え歌を歌い、それに合わせて早乙女が田植えをするというものです。11月23日には、赤米新嘗祭が行われます。青竹で作った神垣にとれた稲束をかけます。これは懸税(かけちから)といいます。神事のあと、赤米で作ったごはんやお酒を囲んで直会(なおらい)をします。

赤米の栽培は教育現場でも行われています。貫頭衣を着ての田植、赤い稲穂の観察、のこぎり鎌や古代の石包丁を使った稲刈り、さらに千歯こきによる脱穀作業といった体験学習が行われています。仕上げは、赤米の赤飯やケーキの試食です。ケーキは小麦粉のかわりに赤米を石臼で粉にして作ります。

赤米はいろいろな商品に活用されています。食料関係では赤飯や雑炊、おかゆなどいろいろあります。京都の和菓子屋さんで作っている赤米と黒米おはぎは美味しいです。他にも味噌やうどん、お茶、ケーキ、せんべい、お酒なども作られています。食生活をはじめ食生活をはじめ生活全般が多様化していく中で、色のついたお米もトレンディなお米として、どんどんいろいろな料理に使っていただくと、また、新しい食文化が生まれていくのではないかと思います。



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